区議会議員との昼食の約束のため、銀座に向かう。
と書くと、何か意味あり気であるが、
20年来の旧友がたまたま議員になっただけの話である。
あ、ここでいう「たまたま」は、
たまたま当選したという意味ではなく、議員になった人が
「たまたま」友人であったという意味の「たまたま」だ。
日比谷線の銀座駅に降り立つと、携帯電話が鳴った。
「ゴメン、いまから昼食の予定が入っちゃって、
昼飯後にお茶でも飲もう!」
はて、昼食の約束をしている小生に電話をかけてきて
昼食の予定が入ったとはこれいかに。
聞けば、地元支持者との急な会食だという。
うーむ、まぁそういう話なら仕方がない。
とりあえず、2時間ほど時間を潰すことになった。
2時間以上の時間を有効に潰せる場所といえば、
もう本屋以外に選択肢はない。
むしろ、2時間では時間が足りない。
せめて半日いただけないでしょうか。
そんなことをTwitterでなく口で呟きながら、
教文館へと向かう。
1階と2階の途中にある踊り場の特設コーナーに、
江戸期の食にまつわる書籍が並んでいて、
なぜかその脇に、本書「字が汚い!」が平積みされていた。
と、前置きが長くなってしまったが、
実は小生、字の汚さには定評がある。
ビクッとして、思わず「字が汚い!」を手に取った。
しかしなぜ、自分の字が汚くなってしまったのか。
本書を握りしめると、走馬灯のように当時の記憶が蘇る。
忘れもしない、
それは、小学校低学年の時代にまで遡る。
当時、漢字の書き取りの宿題が頻繁に出されていたが、
きまって、宿題をやってこない輩が2名いた。
小生と、級友の「寺島」、通称「テラ」である。
毎回、放課後に教室に残され、
やってこなかった宿題をやらされるのだが、
小生がまだ三分の一も終わっていないのに、
悪友のテラは、
「でーきたっ」
といって、さっさと職員室に向かうのである。
毎回、あまりの早技に、その秘密を知りたくなり、
書き取りの終わったノートを見せてもらった。
そして、驚愕したのである。
そこに書かれた文字は、およそ判読できないほどの
あまりにも汚い字だったのである。
「ミミズ千匹じゃん!」
と思わず声を上げてしまった。
実際のミミズ千匹について理解するのは、
それからかなりの年月を経てからのことになるが、
本題とは関係のない話なので脇に置く。
そう、テラは、速記かよ!とツッコみたくなるほどの、
走り書き、いや殴り書きをしたものを提出していたのだ。
宿題を毎回やってこない割に根は真面目な小生は、
一応、それなりに丁寧に書き取っていた。
が、このテラの所業に衝撃を受け、
それ以来、字を丁寧に書く、
ということを放棄してしまった。
お陰で、
汚い字というものが形成され、固化してしまったのである。
そう、今でも忘れもしない、悪いのは「テラ」だ。
ただ、苗字の「寺島」は覚えているが、
名前は忘れてしまった。
さて、本書は字が汚いと自負する編集者「新保信長」氏が、
ペン字練習帳で練習したり、ペン字教室に通ったりして、
その字の変遷をギャラリーとして楽しむものかと思いきや、
どちらかというと「字」をテーマにした壮大なコラム、
といった趣であった。
いやむしろ、そちらのほうが読み物としては俄然面白い。
終始皮肉に満ちた筆致で、随所で何度も
ククククとほくそ笑んでしまう。
そんな中、心に響いたのが最終章、
「「うまい字」よりも「味のある字」をめざせ!」
である。
英会話に例えると、
ネイティブのような発音を目指すのではなく、
きちんとコミュニケーションがとれることを目指す、
あるいは、ハムに例えると、
「わんぱくでもいい たくましく育ってほしい」
といったところだろう。
もし、自分でも味のある字を書くことができたら、
どんなに素晴しいだろう。
小さいけれども、大きな夢でもある。
そこで、味のある字を目指して、練習を試みた。
本書は、各人に字を書いてもらうベンチマークとして
「六甲おろし」を題材に採用している。
著者が熱狂的な阪神ファンであるというだけでなく、
画数の多い字が含まれているのも理由のようだ。
小生は、まったく阪神ファンではないし、
そもそも野球も見ない。
六甲おろしには何の思い入れもないが、
他者の字との比較が容易なこともあり、
ひたすら、六甲おろしを題材に練習をしてみた。
これである。
実はこれ、裏面にもすべて書き込んでいる。
まさに、荒行といっても差し支えないだろう。
そして、自分なりに、なんとくなく、
味のある字のコツがつかめたような気がする。
実際に、その成果をご覧いただきたい。
まず一枚目。
字が下手な奴が無理やり味のある字を書こうとした、
そんな趣がにじみ出ているが、なんとなく味がある
ような気がする。
しかしながら、蒼天翔ける「日輪に」は正しくは
「日輪の」であって、たぶん途中から「に」になって
それを模倣して後半はみんな「に」になってしまった。
阪神ファンにお叱りを受けそうだが、
ぜひそこについては寛大な措置をお願いしたい。
次に、横棒を極端に長くすることで、
味が出せるのではないかと模索した一枚。
パッと見は味があるように見えるかもしれないが、
やはり、元来のポテンシャルは隠せない。
それが、化粧とは違う点でもある。
そして、実はこの行を積んだのはもう3週間ほど前で、
あれから時間が随分と経っている。
果たして、あの行の成果はあったのかを確かめるため、
いまさっき書いた六甲おろしがこれである。
うーん。
「今は、これが精一杯」(カリオストロの城風)